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小名

江戸時代の滝野川・巣鴨・駒込界隈の旧小地名 巣鴨・駒込・滝野川界隈には、新編武蔵風土記稿によると以下の様な小名がみえる。 ・滝野川村谷津(ヤツ)、北山、押外戸(ガイト)、馬場、宮ノ下、谷畑(ヤハタケ) ・西ヶ原村貝塚、橋...
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荒玉水道

1923(大正12)年9月1日の大震災後、隣接町村は避難移住者が激増し、これがため地下水の欠乏を來たし、井戸水が涸れて住民はこのため非常な苦しみに追いこまれ、甚しい所では炊事の水にもこと欠く有様であつた。こゝで兩郡12ケ町村は、この不安状...
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十条跨線橋

東北線旧荒川橋梁 十条跨線橋は、明治 28 (1895) 年に架設された東北線旧荒川橋梁の四連トラス橋(複線100feetポニーワーレントラス(Warren truss)構造橋、英国コックレーン社製)の一連を昭和 7 (1932) ...
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富士見橋

富士が見えた橋 富士が見えた坂は、富士見坂、橋から富士が見えれば富士見橋。人は富士が見えれば富士見< >と名付けた。 田端に住んでいた室生犀星は富士山と云う次の様な詩を読んでいる。その詩集の序文末尾には「大正11年1月21日 ...
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義家伝承

源義家 北区上中里の平塚神社には、社殿裏手に甲冑塚と呼ばれている塚があります。その塚には、以下の様な源義家にまつわる伝承が残されています。 平塚神社の創立は平安後期元永年中といわれています。八幡太郎源義家公が奥州征伐の凱旋途中...
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駒込神明町

現在の町名は、本駒込。昭和41年(1966)までこの町名はあった。駒込の総鎮守である天祖神社の旧称である神明社から名づけられている。かつてこの街には三業地があった。佐多(田島)稲子が女給をしていたというカフェ紅録もこの神明町にあった。 ...
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生産品展覧会

滝野川町制20周年記念 昭和7年8月、滝野川町制20周年記念として、滝野川尋常高等小学校・滝野川町役場の2か所にて行われた。「滝野川町誌」(昭和8年)をみると、第一会場は30余の教室を使い、町所産の各種工業製品が展示され、第二会場に...
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カフェー紅緑

その店の女給に田島いね子という女性がいた。彼女も作家志望でかねてより芥川とも面識があった。また風貌などから文士達は彼女の虜になり、やがて窪川鶴次郎と結ばれ、窪川いね子の名で作家デビューすることになった。後に佐多稲子となり20世紀の日本のプ...
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天然自笑軒

近藤富枝の「田端文士村」には、以下のように書かれている。 『もともと素人の好きではじめた仕事だから、器にも、座敷の掛けものにも、庭のたたずまいにも、趣味をふりかざして大いに凝った。料理人は新井という、会席料理なら日本一の腕という人を...
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大塚三業地

開業直後の大塚駅周辺に数軒の飲食店がありましたが、一日の乗降客数は10~50人くらいであり、飲食店の客ももっぱら近郷の農民たちであったといいます。 しかし、大正時代に入ると大塚駅周辺にも都市化の波が押し寄せ、大正中期には料理屋や芸妓...