谷田川の橋

谷田川物語 (9)

谷田川(谷戸川)は暗渠化されるに従い、これまで生活に欠かすことのできなかった橋は、当然のごとく不要となります。橋がなくなり橋につけられていた名前も忘れ去られました。今に交差点名としてかろうじて霜降橋・谷田橋・藍染橋などが残されています。

昭和初期の架けられていた橋の名前・位置・構造・規模などが、滝野川町誌(昭和8年発行)に記載されています。それれらを抜き出してみると以下の表のようになります。

※1間は1.818mとして計算しています。

また、手元にある関東大震災前後田端を聞き書きを書き込んだと思われる地図<関東大震災前後の田端>をみると、田端地区限定ですが、道が谷田川を渡っている個所(橋?)が11ヶ所、そのうち橋の構造の添え書きがあるのが3カ所で、そのすべてが「石橋」もしくは「石の橋」となっています。

こうしてみると、町誌記載のものは橋のすべてではなく、また橋の構造も相違しています。町誌記載の橋は、公設の橋と考えられ、財産台帳なりの転記か、記載の構造も実態を反映していないとも思われます。

JR中里ガード脇、石橋遺構(現在、JR線路敷きの土留めとして使用されています。)
田端八幡神社参道
交差点名などに残る谷田川の橋の名。

※参考文献:<関東大震災前後の田端>地図は、「田端文士・芸術家村と女たち」(北区総務課編・ドメス出版)所収。

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