講座「谷田川を辿り時間を旅する」を受講して

谷田川を歩く(「月虹」2021年8月号より)

2021年3月、滝野川文化センターにて行われた講座「谷田川辿り時間を旅する」に参加された方から講座の感想を頂きました。なお、下記文章は短歌同人誌「月虹」2021年8月号に掲載されたものを関係者のご厚意により転載しました。

 早いものでここ滝野川に居を移して十四年がたった。あれよあれよと色々な事が止まることなく過ぎていった。(・・略・・)この同好会は地元のことにも話題を拡げて実地に歩いたり座学の講座を開いたりもする。その中に、今は暗渠化され埋められた川についての講座が開かれ実地も行われた。それが表題の「谷田川を歩く」である。
 だが、そもそも谷田川に飛びついたのは田端文士村記念館の「田端文士芸術家村しおり」に伊東晴雨描く「明治期の田畑風景」の下方、横一筋に川が描かれていた。更に興味を引いたのは、ページを広げると「大正期の谷田川風景」の写真であった。木立に覆われて小さな川が人の歩く道とほぼ同じ高さで豊かに流れている。こんな親しげな川で人々は何をし、生活をし、楽しんだか。田端にこんな風景がと興味深く見入った。並んで「当時の芥川家近くの坂道」の写真も載っている。急な坂の下に川が流れていたことになる。伊東晴雨描く絵も高いところに寺らしき長い階段があり、それ段々に降りて人家を過ぎると横一筋の川に会う。これが谷田川だと気付く。今はもう想像すら難しく家が建ち並び通りの名に谷田川通りと残るばかりである。
 この谷田川はどこから流れ出ていたか、そんな追求も講座や実地で教えられた。源流は駒込染井墓地が終わり窪地になるところ、巣鴨豊島市場あたりに長池と呼ばれていた池に発すると言う。流れるにつれ湧水などを集め豊かに流れを保持していったと言う。その頃は台地や崖や畑、森など一望できていただろう。
 染井は植木屋さんの村、幕末にソメイヨシノは生み出された。この頃植物ハンター、ロバート・フォーチュンもこの地を訪れている。美しく手入れされた景観を称えている。時代は上がって八代将軍吉宗に気に入られ、江戸城内の庭師をも務めた植木屋、伊藤家四代目の伊兵衛政武の墓など染井の歴史も知りたいが、ここでは朝井まてかの小説「花競べ 向嶋なずな屋繁盛記」が植木屋を題材に善かれていてこの世界が伺える。誰も不幸にならない人の心の機微を大切にした優しい小説である。
 染井の丘を巡り流れる川は、そこでは谷戸川、又は境川と呼ばれて今の霜降り銀座の下を駒込駅の方、山手線を潜り名に残る谷田川通へと続く。流れは谷田川となり谷中を抜け、その先へび道と呼ばれている所をくねくねとしてそこからを藍染川とよび、上野不忍池へ流れ込む流路である。なぜそう長くもない川にいろいろな呼び名が有るのか。地図を国土地理院的に見慣れている今の我々の発想では通じないものがある。人々は目の前にある親しい川を生活感を持って愛称する。それが色々な呼び名を持つゆえんである。ここを理解しておかないと古地図を見るような忍耐を必要としてしまう。因みに境川とは他の区域との境を流れているからと、聞くだけで地形が浮かんで来てしまう。
 今更かと言われそうだが、谷戸、谷田など谷がつくと狭まったところ、谷であるが地形の特徴を言う。水があれば水はそこを流れる。西ヶ原の終わるところ、駒込へ大きく下るところに旧古河庭園がある。春と秋バラで美しい。バラ園が平らな所と傾斜に沿って一段低くなったところに広がる立体的な園である。さらにそのバラ園を下りていくと様が代わり日本庭園となる。深い樹木と共に広い池が水を豊かに巡らす。東と洋、この二段式庭園にハタと気づいた。ここは谷を作る傾斜地形と底を流れる谷戸川の地形を生かして作られた庭園だった。湧水も豊富だったことであろう。谷戸川の流路を知らなかった故、一元的に捉えることが出来なかった。
 谷田川になると、その昔は近郊の野菜など集めて洗う洗い場があり不動尊が祀られていたり、漱石、鴎外、芥川他多くの作家、芸術家に取り上げられ、小説の一コマとなって様々な景色を見せてもらっている。人々は架けられた木の橋を本郷台地、上野台地と登り降りして行き交わっていた。水をめぐつて今は無い生活の豊かさ、多様さがあった。それらは全て想像する楽しみとなる。許された不思議な時間を取り戻す。
 地域の人に混じって新参者が地域面らして書くことに引け目を感じながら、自分を確かめるためにいただいた講座の資料を丹念に読んで少し頭がまとまってきたことは嬉しい。駒込駅の南口と東口の地形の落差。そこには川の流れがあり、事実西ヶ原より旧古河庭園あたりで急な坂を下り、また駒込駅南口まで登る坂は今でも確実に実在する。起伏ははっきりしている。山手線はどんな工夫をして線路を敷いたかまでに想いは及ぶ。
 とりとめもない川の流れであるが、時を遡り、歴史を知り、地形を知り立体的に景色を捉えていくことば豊かな想像力を生む力である。自分をタイムスリップさせてこの地の埋もれた人々の日々の生活のささやかな時を想い楽しみたい。六阿弥陀を尋ねる道もあるらしい。次なる楽しみである。
(成島)

短歌同人誌2021年8月号「月虹」141号所収
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