種屋街道(たねやかいどう)

ようこそ 瀧野川三軒家へ

旧中山道を巣鴨から北上し、明治通りを越えたあたりから滝野川三軒家(北区滝野川六丁目)は「種屋街道」と呼ばれていました。この地でカメラ店を営んでいた榎本氏が、平成16年(2004)当時の種屋街道を調べ記録されマップとして整理しています。今は存在していないものも多く、街の記憶を記す貴重なマップです。榎本氏のお許しを得て以下に転載します。なお、マップは一部未完のためその部分は●●としています。

ようこそ瀧野川三軒家へ
 瀧野川三軒家(東京都北区滝野川6丁目)付近は、大正大震災・第2次世界大戦の空襲にも難を逃れ、古き良き時代の建物も俗く見受けられましたが、近年これも建て替えにより、年々少なくなっています。江戸時代より、中山道と、千川上水に囲まれた土地は、種苗屋問屋を営む家も多く在り、「瀧野川牛蒡・ゴボウ」「瀧野川人参・ニンジン」の種苗などで、豊島区巣鴨より北区滝野川三軒家と板橋区清水町に続く、有名な種苗屋街道でした。

①JR板橋駅「赤羽線」(板橋1-15-1) 
 明治18年(1886)3月1日開業
 品川・赤羽間「山手線」の駅として、当初は仲宿寄りに計画されましたが、宿場町の反対で現在地に建設されました。板橋区・西口改札・駅長室、北区・東口改札、豊島区・ホーム南側と、3区に跨ります。昭和61年(1986)埼京線乗り入れ、平成14年(2002)りんかい線乗り入れ。

② 新撰組隊士供養塔(滝野川7-8-10)  
 新撰組隊長・近藤勇は、慶応4年・明治元(1868)4月25日に、板橋の一里塚にて処刑され、首は、首改めの為に京都に運ばれ、胴体のみが葬られていました。墓碑は、近藤勇、土方歳三のほか殉死した隊士の供養の為、明治9年(1876)永倉新八・松本順により、当地に建てられました。のち、近藤勇は遺族により、三鷹・龍源寺に葬られています。

③ 平尾一里塚(現・あづまや) (板橋1-54-1)
 日本橋より2つ目、明治期まで平尾宿に在りましたが、現在は仲宿寄りに『平尾交番』として、名を残しています。板橋宿は、江戸四宿の一つに数えられ、一里塚より国道17号までを平尾宿、国道17号より環状7号までを仲宿、環状7号より清水町までを上宿、三宿を「板橋宿」と呼びました。

④ 馬頭観音(滝野川6-62-11)
明治時代中山道の旅人の道中安全祈願と荷役に使われた、馬に感謝と供養を込め、建立されました。

⑤ 瀧野川種苗 (滝野川6-61-14) 
 創業・明治5年(1872)岩田與四郎商店と発足し、種苗・肥料・園芸資材の販売造園土木等を営んでいます。

⑥ 藤井 邸(滝野川6-55-5) 
 大正13年(1924)築、昭和21年頃まで自転車屋を営んでいました。

⑦●●
 滝野川6-33-17 
 榎本米吉

⑧ 桝 屋・榎本 邸(滝野川6-31-16)
 明治20年代 築、創業1700年代末、桝屋孫八 瀧野川三軒家、大正9年(1920)日本最大の種会社・帝國種苗株式会社設立に参加する。(5社合併)

⑨ 岩田園(滝野川6-14-9) 
 嘉永2年(1849)初代岩田嘉右衛門により、茶の栽培・製造を始めました。昭和22年〈1948〉埼玉県入間市に茶園と製造工場を移転し創業以来の製茶技術を伝承して販売しています。
 http://www.iwataen.com/

⑩ 亀の子束子・西尾商店 滝野川6-14-8
   大正12年(1923)築、明治40年(1907)初代西尾正左衛門により、本郷真砂町にて、 亀の子束子を発明・発売する。明治42年(1909)滝野川工場を設置し拡販する。昭和23年(1948)株式会社亀の子束子西尾商店と改名いたしました。
 http://www.kamenoko-tawashi.co.jp/

⑪ 岩田 邸(滝野川6-13-5) 
 ●●年(1●)築、岩田六三郎

⑫ 榎本 邸(滝野川6-11-17) 
 大正初期の建築、瀬戸物店を営んでいました

⑬ 日本農林社(滝野川6-6-5) 
 創業・嘉永五年(1852)、初代・鈴木政五郎により丸政鈴木政五郎商店として創業し合資会社大日本農園をへて日本農林種苗株式会社に引き継がれ、滝野川と茨城県で自社開発種苗の育成と国内外に卸販売をしています。
 http://www.norin.co.jp/

⑭ 旧霞ヶ関信用組合(滝野川6-8-6)
  昭和3年(1928)築、川崎第百銀行瀧野川出張所として建築され・霞ヶ関信用組合・
三菱銀行と、昭和60年(1985)まで使用され、平成16年(2004)3月解体されました。

⑮ 千川上水分配堰の碑 (滝野川6-9-2)
 明治15年(1879)建、元禄9年(1696)保谷市の玉川上水から分水され、練馬区・豊島区・板橋区・北区・文京区を流れていました。初期は小石川・白山・湯島聖堂の飲料と近隣の灌漑用水に、幕末は滝野川・大砲鋳造用に、明治は王子・製紙工場へ、使用されましが、昭和12年(1937)暗渠化されました。

⑯ 東京種苗 (西巣鴨3-19-2) 
創業 弘化元年(1844)

⑰ 千川上水  調節池跡
※谷端の牧場 現在都営滝野川アパート(滝野川7-49)
※谷端の水車 谷端川を利用した加藤家の水車小屋、昭和●年(19●● )頃まで挽いていました 
※谷端小学校 牧場の跡・昭和11年(1936)4月東京市瀧野川町谷端尋常小学校として
開校、昭和17年(1922)児童が掘って造ったプール(滝野川7-12-17)
 http://www.kita-tky.ed.jp/es43/43es.htm
※滝野川第二小学校 明治34年(1901)12月6日東京府北豊島郡滝野川村立滝野川尋常
高等小学校滝野川分教所として開校する。(滝野川6-19-4)
  http://www.kita-tky.ed.jp/es36/blog/
※国道17号 昭和13年(1938)中山道のバイパスとして開通
       昭和4年(1929)都電開通下板橋迄  
       昭和41年(1966)都電廃止  
       昭和43年(1968)都営三田線開通
        平成14年(2002)12月高速開通
※板橋駅東口 昭和28年(1953)谷端復興区画整理事業の一環により東口完成
※堀割 慶応元年(1864)徳川幕府が滝野川に造った反射炉運用に、千川上水を王子
方面に分水する 為に、堀割を造った事に由来します。
※バス 
 大正 8 年(1919)志村・巣鴨間 
 大正12年(1923)万世橋・板橋間〈市バス〉滝野川銀座バス停萬歳館角  
 昭和期巣鴨・板橋  
 昭和30年代大塚・板橋〈東都バス〉
 昭和40年代東京駅丸の内・板橋経由上板橋〈国際バス〉板橋駅東口・市場通り信号脇 
※種苗屋街道の碑(豊島区巣鴨 3- 21 -21)
  巣鴨・真性寺・江戸六地蔵(JA東京グループ農業協同組合法施50周年記念事業)
※瀧野川人参・牛蒡の碑(北区滝野川 6- 21 -25)
  北区滝野川西区民センター(JA東京グループ農業協同組合法施50周年記念事業)
※北区立紅葉中学校 昭和22年設立、生徒会の皆さんが「滝野川ゴボウ・ニンジン」
の栽培しています。http://www.kita-tky.ed.jp/jh68/ (滝野川5-55-8)
※明治通り 昭和 8 年(1933)環状5号開通、昭和32年から昭和42年まで池袋・浅草・
亀戸・今井にトロリーバスが走っていました。
※鎌倉橋 滝野川7丁目と上池袋4丁目間に流れていた谷端川に、架かっていた鎌倉街道の橋
(近年までバス停に、名が有りました)
※瀧野川三軒家 いちます 桝屋孫八、かねと 榎本重左エ門、○浅[まるあさ]越部半右エ門
※森林プール 私営のプール・現在の滝野川第六小学校・紅葉中学校付近
※萬歳館・映画館 昭和 6 年(1931) 1 月30日開館瀧野川東映
         昭和45年(1970)閉館 支配人 松本紋太郎氏 (滝野川6-36)
※弁天座・映画館 昭和27年(1952)三角寛氏により開館
           昭和44年(1969)頃閉館 (滝野川6-84) 
※正一位重吉稲荷神社 都立池袋商業以前の紡績工場建設時、敷地内から17号国道路沿いに
移転しましたが、高速道路建設拡張に伴い再度移転しました。
※きつね塚通り縁日 昭和45年(1967) 頃迄続いた、重吉稲荷神社の縁日開催 
10日・20日・30日(平成15年現在きつね塚商店会・土曜縁日を開催) 
※狐塚跡 東京消防庁滝野川消防署三軒家出張所の敷地、厄よけと火伏せの神として、
正一位伏見稲荷神社を祀ています。(滝野川5-39-3)
※瀧野川八幡神社 
  品陀和気命を御祭神と祀る。創建・由緒等不明、昭和20年頃迄社務所にて、種苗の
競り市が開かれていました。(滝野川5-26-15)
※瀧野川囃子 幕末より伝承される祭り囃子、押下戸・谷津・三軒家に広まりましたが、
現在は上町親 和会(三軒家)のみに伝承されています。
平成16年(2004)4月 榎本

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