昭和初期の谷田川

谷田川物語 7

1926年生まれの建築評論家の川添登氏は、小学校1年で西巣鴨に引っ越すまで、染井稲荷の付近に生まれ住んでいた。こどもの頃の思い出として谷田川のことを以下のように綴っている。

駄菓子屋の前の道をさらにすすむと谷戸川にぶつかり、川に沿って下ると霜降橋へでるが、その途中に活動写真館があったり、サーカスが小屋がけする場所があったりで、いわば場末の繁華街になっていた。
谷戸川は、川とはいえ、角材と板材とで土留めされた底を、雨でも降らない限り、わずかな水がちょろちょろ流れるだけのものになっていて、私たちはドブ川とよんでいたが、たまにはオタマジャクシが泳いでいて、それをとったりもしたのである。
<略>
染井の墓地にいくと、コジュケイが行列をつくって歩いていた。
墓地のはずれには池があり、終戦直後まで釣り堀として残っていた。これがかつての谷戸川の水源地、長池だったのではあるまいか。

「東京の原風景」(川添登・NHKブックス昭和54年発行)
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