鷹匠橋とはどこに架かっていた橋でしょうか?
滝野川町誌(昭和8年発行)には、谷田川(谷戸川)にかかっていた橋として、7つの橋が紹介されています。現在の北区中里には、「鷹匠橋」という幅1.5間、延長1.5間の木造の橋が架かっていました。現在では谷田川のどこにかかっていたかは不明となっています。〈鷹〉に因んだ名の橋は、大田区の旧呑川(現在は流路を変更され緑道公園になっている。)にも「鷹ノ橋」が架かっていました。
大田区は六郷筋、北区は岩淵筋と呼ばれた鷹場がありました。鷹狩にちなんだ橋と考えられます。鷹狩が行われていた江戸期には、現在の都立駒込病院(文京区本駒込3丁目18)の地には、鷹匠屋敷、さらに滝野川会館・滝野川文化センター(北区西ヶ原1丁目2)に隣接して、御用屋敷と呼ばれていた鷹狩の施設があり、先の「鷹匠橋」は、この2つの施設を結ぶ道筋にあったと推測されます。
そこで「鷹匠橋」の位置を考えてみますと江戸期の村絵図「武州豊島郡中里村」には谷田川に2つの石橋が架かっていたことが確認できます。その後の区画整理や市街化により町割りも違っていますが、グーグルマップでこの2つの施設を経路を探ってみますと、尾根沿いの道と谷田川沿いのルートの2ルートが検索されます。歩行時間はいずれも31分。距離は2.2Km。先の村絵図の2橋のうち御用屋敷に近いほうが、グーグルマップ検索の谷田川経路とほぼ一致します。それは、豊島区駒込2-12と北区中里2-16で谷田川を渡っております。ここに架けられていた橋を鷹匠が渡っていたことにより「鷹匠橋」と名付けれ、昭和初年までその名を残していたと考えられます。
※御用屋敷
村の巽にあり西ヶ原に跨り一萬二千五百三十二坪の地なり、内當村に係る事七千七百四十五坪、近き年御遊猟の時兎狩をなさしめられしより、兎御用屋敷とも號す、構内に御立場あり、又、御鳥見の者御役宅あり、此地は元酒井雅楽頭のなりしか、享保〇年御用屋敷に定めらると云、
新編武蔵風土記稿巻之十七 豊島郡之九 上中里村