富士が見えた橋
富士が見えた坂は、富士見坂、橋から富士が見えれば富士見橋。人は富士が見えれば富士見< >と名付けた。
田端に住んでいた室生犀星は富士山と云う次の様な詩を読んでいる。その詩集の序文末尾には「大正11年1月21日 田端にて」とある。
富士山
詩集「星より来れる者」
雪晴れの美しい太陽が出て来た。
雪の日の墨の青みの濃いこと。
そして温いこと。
ガードの土手の方へあるくと
白い富士山が見える
人家の屋根と疎林の間に。
疎林のしたはレール道になつてゐて
山の手線の電車が
二つばかり過ぎ去つたあとだ
おれは富士を眺める
富士山はまるで子供らしい好奇の目を瞬かしてくる
おれはお前の下をよく過つた
煤でよごれたきたない汽車の窓から
初めてお前をみたのは今から十三年前だ。
おれは凍えた手で
窓ぎはをがりがりと掴んでゐた
おれはどうにもならなくて國へかへりつつあつたのだ
寒さと飢とに逐はれて冷たい窓ぎはで
がりがりと椅子戸をこすつてゐた。
なるほどお前は美しい姿をもつてゐる
お前の平和はなかなか讀みつくせない。
だがおれはいまなら
お前の姿をゆつくり眺められる
おれの生活がこの東京に落ちついたから。