逆川

逆川はその名通り、旧石神井川の流路を地形の高低差に逆らい石神井川に流れていた。
「川の地図辞典」には次のように書かれている。水源とされているところは、道音坂を降り切った崖付近である。

逆川(さかさがわ)[北区]【306】 
北区西ヶ原四丁目28番付近を水源として西北に流れる。滝野川一丁目を蛇行して流れて同二丁目4番の地先で石神井川に注ぐ。
川の名は、石神井川・谷田川などが東北や東南に流れるのに対し、西北に流れていることによるという。
明治三二(一八九九)年、上流の南側に海軍下瀬火薬製造所が建設され、その廃水は逆川に導水された。
そのため石神井川の水を使用していた王子製紙の機械が錆びるという被害を出した。
廃水を逆川に引いたのは、谷田川が農業用水として利用されていたためとされる。
現在、水路は全て暗渠化されて道路になっている。

川の地図辞典 江戸・東京/23区編 補訂版・菅原健二

また、下瀬坂の案内板には以下のように書かれている。

国立東京外国語大学跡地(現在みんなん公園)の南側に沿って登る坂。坂名は、明治時代に現在の大学跡地の位置に設けられていた「海軍下瀬火薬製造所」に由来する。
ここには、江戸時代に幕府の薬園があった。
大学のグラウンドがあったところは、昔の池で、谷田川の水源となっていた。

下瀬坂の案内板

この下瀬火薬製造所にあった池の存在や谷田川の水源であったことは、根拠が示されていないので確認できないが、明治期の東京逓信管理局の地図を見ると下瀬火薬から流れ出る複数の用水路の流路は、谷田川とはつながっておらず、逆川に合流している。

これらからすると逆川の水源は道音坂下崖付近、また、御薬園時代の池から流れでた湧水は、谷田川に流れ出ていたものが、下瀬火薬製造所(現みんなの公園)の敷地造成時に流路が変更されて逆川に導水されたようだ。

下の写真は、蛇行しているかつての逆川推定流路

旧醸造試験場地先
明治通りから旧醸造試験場へ地先
都電から明治通りへ地先

明治通りの造成のため地盤が上がっている

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