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Takipedhia

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瀧野川五大尊

Staff-Oh
昭和初期まで旧滝野川町地区にあった5大不動尊。
  1. 中央大日大聖不動明王
  2. 東方降三世夜叉明王
  3. 西方大威徳夜叉明王
  4. 南方軍茶利夜叉明王
  5. 北方金剛夜叉明王
滝野川町誌には、荒玉永道町村組合の項に以下のように書かれている。
瀧野川も、ずつと逆つて今から二十五六年前の農村時代には、水は豊富であつた、上中里の下臺の如き、堀抜井戸即ち鑿井からは滾々として地上二三尺も噴水したものだ、高臺でも田端、中里、西ヶ原の峽上の懸崖からは、四六時中清洌な水が湧き流れて、瀑布をなしてゐた、而してそこには必ず不動尊が祀つてあつた、五大尊(中央大日大聖不動明王、東方降三世夜叉明王、西方大威徳夜叉明王、南方軍茶利夜叉明王.北方金剛夜叉明王)の跡は何れも瀧が流れてゐた。
瀧野川町誌(昭和8年発行)
現在、地域でお祀りされている不動尊で確認できるのは以下の二つがある。一つが田端不動尊、もう一つが、上中里不動尊。他不動尊の存在と元の所在地を捜索中です。

〇上中里不動尊の台石には享保20年(1735年)の銘がある。のぼりに西方不動尊とあるので、町誌の「西方大威徳夜叉明王」ではないかと推測される。
〇田端不動尊は、元々田端駅の南口付近にあったものが駅の工事で移転され、さらに谷田川の改修工事で現在位置に再移転されたとのこと。田端駅南口からの坂(階段)が「不動坂」と地名に残されている。

上中里不動尊
西方不動尊2西方
上中里一丁目に1721年(享保6年)の銘がある石仏が祀られている庚申堂がある。そこには地元の方が説明板や地図(武州豊島郡上中里村絵図面・1855年・安政2年)が張りだしてあり往時の様子がうかがえる。その絵図面によると上中里不動尊は現在の位置を少し下った線路敷あたりにあったようでうす。
上中里村絵図

田端不動尊
田端1
田端2
田端駅の南口を出ると不動坂と呼ばれる坂がある。現在は階段となっているが、北区設置の坂の案内板には、以下のように書かれている。
田端駅南口から西南へ登る坂です。坂名は、かつて田端駅南口付近に石造不動明王立像が安置され、不動の滝があったことによります。この不動明王像は、明治45年(1912)5月に始まった田端駅の拡張工事により現在地付近へ移され、さらに谷田川改修工事にともない、昭和10年(1935)11月に現在地(田端3-14-1隣接地)へ移され、田端不動尊となっています。


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