青山士(あおやまあきら)

お住まいは田端

「その時の大水は僕の記憶に残つてゐるのでは一番水嵩(みづかさ)の高いものだつた。江東橋界隈の人々の第三中学校へ避難したのもやはりこの大水のあつた時である。僕は江東橋を越えるのにも一面に漲みなぎつた泥水の中を泳いで行ゆかなければならなかつた。……」

芥川龍之介は明治43年の大水害を経験し、田端の高台に居を構えます。

旧流路に代わり水門建設と荒川(放水路)掘削をした技師青山士(あきら)は東京帝大の土木を卒業後、単身パナマに渡りパナマ運河の工事に携わった唯一の日本人です。青山も工事のために居住したのが田端です。