荒玉水道

1923(大正12)年9月1日の大震災後、隣接町村は避難移住者が激増し、これがため地下水の欠乏を來たし、井戸水が涸れて住民はこのため非常な苦しみに追いこまれ、甚しい所では炊事の水にもこと欠く有様であつた。こゝで兩郡12ケ町村は、この不安状態を深く憂えて、万難を排して水道敷設を敢行することに一決する。

この水道は、多摩川沿岸の砧村字喜多見を水源地として給水人口60万人に対し、一日一人5立方尺の計画で、浄水場31,000坪を喜多見と河内とに設け、集水埋渠、接合井、分水井、濾過池、浄水池、量水堂、筒場等が整備せられた。その総工費は26,062,600円、給水区域は豊多摩、北豊島の同郡の13ケ町村として営業を開始した。

1924(大正13)年
4月17日 協議会で調査費予算案と規約案とを議決する。
1925(大正14)年
1月31日 荒玉水道町村組合設置の許可を受ける。
2月20日 第一回組合総会で、27,070,2667円の予算を編成し水道敷設を実施する事を議決した。
3月28日 この事業のため國庫補助を申請した処、貴衆両院の可決を得十四年度以降同38年度に亘り4,475,000円を分割補助する旨が、官報号外で発表せられた。
1926(大正15)年
3月31日 工事施工認可並びに起債許可指令を得る。
5月17日 東京府より15年度以降同38年度に至る22,037,500円分割補助の指令があつた。
7月11日 地鎮祭を行う。
12月5日 起工式を行う。
1928(昭和3)年
8月  通水する。
10月1日 荒玉水道組合(砧浄水場)給水を開始し、残りのエ事を急ぐ。
1930(昭和5)年
5月19日、全工事が完了して落成式を挙げた。
1932(昭和7)年
10月1日 市郡併合となつたので、町村組合を解散して、組合の財産と負債か東京市に引継ぎ、東京市は同組合の役場を豊島区役所の庁舎とし、高田町役場跡を水道の営業所として、給水区域13ケ町の給水上の事務を取扱うことゝなつた。

参考文献:
豊島区史(昭和26年発行)、滝野川町誌(昭和8年発行)