天然自笑軒

近藤富枝の「田端文士村」には、以下のように書かれている。

『もともと素人の好きではじめた仕事だから、器にも、座敷の掛けものにも、庭のたたずまいにも、趣味をふりかざして大いに凝った。料理人は新井という、会席料理なら日本一の腕という人をさがしてきて任せる。客室は六つ、予約以外の客はとらず、料理は七品で一人前五円、これが並の料金だった。やがて総理大臣若槻礼次郎、渋沢栄一などという、ときの顕官たちのひいきを受けるようになり、自笑軒の名は、有名になった。直次郎の娘で、芥川龍之介の義弟に当る新原得二(父は新原敏三、母はふくやふきの妹に当るふゆ)に嫁いだつるの話によると、「おわんに、お向に、口とりに、焼物に、煮ものに、おつぼ、小づけ、それにお口洗い、さいごにお抹茶をお出しいたしました。いったいに味がうすく、畳もちょんぼりでございました」というから、茶人むきの上品な献立だったと思われる。』

近藤富枝の「田端文士村」

日の暮れ方に、二人ふたりで湯にはいって、それから、自笑軒へ飯を食いに行った。僕はそこで一杯の酒を持ちあつかいながら、赤木に大倉喜八郎と云う男が作った小唄の話をしてやった。何がどうとかしてござりんすと云う、大へんな小唄である。文句も話した時は覚えていたが、もうすっかり忘れてしまった。赤木は、これも二三杯の酒で赤くなって、へええ、聞けば聞くほど愚劣だねと、大いにその作者を罵倒していた。
かえりに、女中が妙な行燈に火を入れて、門まで送って来たら、その行燈に白い蛾が何匹もとんで来た。それが甚、うつくしかった。

「田端日記」(芥川龍之介・大正六年)青空文庫