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滝野川界隈のやま・かわ・たに

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谷田川の橋

谷田川物語 (9)

Staff-Oh
 谷田川(谷戸川)は暗渠化されるに従い、これまで生活に欠かすことのできなかったは、当然のごとく不要となります。がなくなりにつけられていた名前も忘れ去られました。今に交差点名としてかろうじて霜降・谷田・藍染などが残されています。
 昭和初期の架けられていたの名前・位置・構造・規模などが、滝野川町誌(昭和8年発行)に記載されています。それれらを抜き出してみると以下の表のようになります。
 
所在延長構造
間)(m)※(間)(m)
霜降西ヶ原610.9082.03.636
谷田田端1.52.7271.52.727木造
相生田端11.8181.52.727石造
鷹匠中里1.52.7271.52.727木造
山王中里1.52.7271.52.727木造
前畑中里1.52.7271.52.727木造
松谷中里・田端境1.52.7274.58.181木造
             ※1間は1.818mとして計算しています。

 また、手元にある関東大震災前後田端を聞き書きを書き込んだと思われる地図<関東大震災前後の田端>をみると、田端地区限定ですが、道が谷田川を渡っている個所(?)が11ヶ所、そのうちの構造の添え書きがあるのが3カ所で、そのすべてが「石」もしくは「石の」となっています。
 こうしてみると、町誌記載のものはのすべてではなく、またの構造も相違しています。町誌記載のは、公設のと考えられ、財産台帳なりの転記か、記載の構造も実態を反映していないとも思われます。
 
   中里ガード石橋
  JR中里ガード脇、石遺構(現在、JR線路敷きの土留めとして使用されています。)
 
 谷田橋
    田端八幡神社参道

   谷田橋交差点
  交差点名などに残る谷田川のの名。

 ※参考文献:<関東大震災前後の田端>地図は、「田端文士・芸術家村と女たち」(北区総務課編・ドメス出版)所収。

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