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滝野川界隈のひと

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辻潤(つじじゅん)

1884年~1944年

Staff-Oh
 ダダイストと呼ばれた辻潤は、著作の「ふれもすく」(※3)によると「少年の時分から染井が好き」であったことが記されている。また上野高等女学校の教員をやっていた頃は、「山の手線が出来始めた頃で、染井から僕は上野の桜木町まで通っていたのであった。」とあり、染井の住人だったのである。その頃は「森の中の崖の上の見晴らしのいい家であった。田圃には家が殆どなかった。あれから王子の方へ行くヴァレーは僕が好んでよく散歩したところだったが今は駄目だ。」と記している。

 豊島線(現山手線田端-池袋間)が完工したのが明治36年で、駒込駅の開業が明治43年である。その頃には染井に住んでいた。伊藤榮洪氏によると明治45年、上野高等女学校の生徒であった伊藤野枝とで同棲し、巣鴨村上駒込840番地で借家住まいを始める。妙義坂下(現・駒込2-8/霜降橋付近)で辻潤と同棲していた伊藤野枝の近くの妙義神社前に平塚らいてう夫妻が移り住んだとある。(※2)辻潤年譜によるとその後、1915年(大正4)に小石川指ケ谷町92番地の借家に移っている。(※1)

参考文献
※2 「ぶらり中山道巣鴨」伊藤榮洪・発行豊島区
※3 「ふもれすく」(一九二三年十一月、四国Y港にて)青空文庫より引用

墓所は、染井の西福寺(豊島区駒込)にある。

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